2007年12月29日

untitled.jpg

Gスポットの名前の由来となった博士エルンスト・グレーフェンベルク

 「Gスポット」という言葉を聞いたことの或る人は多いでしょう。女性の膣の内部にある快感スポットがGスポットとよばれています。このGスポットは実は一人のユダヤ人科学者の名前が由来になっているのです。

 Gスポットの名前の由来となったグレーフェンベルク博士は、産婦人科医で科学者でした。現在ではGスポットとの関連でしか一般的には耳にしない名前でしょうが、Gスポットにかぎらず性医学で大きな功績を残した科学者のようです。

 もっとも有名なものはグレーフェンベルクリングという子宮内避妊具の発明です。Wikipediaのグレーフェンベルクの項目にはこうあります。

 「また彼は、グレーフェンベルク・リング(子宮内避妊具)の発明者である。1930年に、グレーフェンベルク・リングが発表されたのをうけて、1932年に、産婦人科医(後に政治家)の太田典礼(1900年 - 1985年12月5日)が、太田リングを考案した。子宮内に異物を挿入することによって避妊できるということは、古くから知られていたが、グレーフェンベルク・リングの発明により子宮内避妊具は世界中に広まった。しかし、日本で認可されたのは、1974年のことであった。」

 グレーフェンベルク博士は1881年ドイツはゲッチンゲン近くの小さな村に生まれたユダヤ人で、ミュンヘンとゲッチンゲンで医学を修め、1905年3月10日に博士号を受けています。ヴュルツブルク大学で眼科医として勤務した後、キール大学で産婦人科医として働きます。キール大学ではがんの転移に関する論文なども発表しました。

 その後ベルリンで産婦人科医として働く一方で、多くの論文を発表しました。第二次世界大戦中も研究をつづけ、1929年にはグレーフェンベルクリングという子宮内避妊具(IUD(intrauterine contraceptive device))の論文を発表をします。

 そのころドイツ国内ではナチスが台頭してきていました。1933年、ユダヤ人であるグレーフェンベルク博士は廃業を余儀なくされます。翌年には、ハンス・レーフェルトとという性科学者に国外への移住を勧められるものの、グレーフェンベルク博士は拒否します。なぜなら患者の中にはナチスの高官も含まれていたため安全であると考えていたのです。ところが、1937年には逮捕されてしまいます。結局1940年にはナチスの手からのがれるためにアメリカに渡りました。

 アメリカに渡ったグレーフェンベルク博士は、ニューヨークで医師として働く一方で女性の性に関する研究をつづけました。のちに「Gスポット」と呼ばれることになる領域に関する研究は、The Role of Urethra in Female Orgasmという論文として1950年に始めて発表され、1953年には改訂版が発表されています。また、女性の「潮吹き」に関する研究もこのころ行っています。

 1953年ころからパーキンソン病を患い、1957年10月28日にニューヨーク市で亡くなっています。多くの論文を発表し性の科学の発展に大きな功績を残したこの博士が亡くなったときには新聞も科学雑誌にもなんの知らせも出なかったそうです。

 パーキンソン病を患ってから診察は不可能になり、晩年は産児制限の研究所であるマーガレット・サンガー研究局 (Margaret Sanger Research Bureau)での研究に協力していました。

 また、1948年と1953年に発表され、世界中に衝撃を与えた性に関する調査報告書キンゼイリポートのアルフレッド・キンゼイとも親交があったといい、グレーフェンベルク博士自身も18000人の調査対象の一人であったそうです。

 ナチスの迫害から逃れるためにアメリカに移住というのは、音楽家のシェーンベルク、あるいはアインシュタインと同じです。アメリカへの移住は望んだものではなかったとはいえ、Gスポットの研究や潮吹きにかんする研究が伸び伸びとできたのは性の研究が進んだアメリカ合衆国だからこそということもあるのかもしれない、とも思えます。

 「Gスポット」という名称はグレーフェンベルク博士自身が付けたものではなく、ジョン・ペリーとビバリー・ウィップルという性科学者が、グレーフェンベルク博士に敬意を表して1981年の論文で初めて用いました。

*グレーフェンベルグとかグラーフェンベルクとかグランフェンベルクとかグランフェンブルグなどさまざまに表記されていますが、ドイツ人ですのでグレーフェンベルクと表記しました。

[参考]
Ernst Gräfenberg
Ernst Gräfenberg: From Berlin to New York

.